その後短歌から転じて小説をつくり始めた葉子がその処女作を麻川氏の友人喜久井氏に始めて見て貰うことを頼んだ。
だが喜久井氏はその時、文壇的な或る事業劃策中だったので、友人麻川荘之介に見てお貰いなさいと葉子に勧めた。
葉子は早速麻川氏に手紙を書いたが、その返事がいつまでたっても来なかった。葉子は今迄ひとに返事の必要の手紙を出して返事を貰わなかった覚えが無かったので、いくらか消気てすこし怨みがましい心持になって居た処へ、ある人がそれに就いて、
「あの人は、坂本さんの戯画の材料をあなたから出てるとでも思ってるか知れませんよ。そして用心深いから身辺を用心する為めにあなたを敬遠しちまったのかも知れませんよ。」
と葉子に云った。そう云われれば葉子は坂本より文壇に近いわけである。けれど文壇的社交家でない葉子は文学雑誌記者であり新進小説家としての川田氏が提供する程の尖鋭的な材料など持ち合わし得べくもなかったのだ。葉子はますます味気ない気持ちになったが麻川氏がもしそういう用心をするならそれも当然な気がしたし、それやこれやで小説をひとに見て貰う気などはいつか無くなって居た。
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