初めに老醫師の世話で借りた家は、戸じまりも充分に出來兼ぬるほど荒れ古びた家で、しかも間取も甚だ拙く、うまく使へる部屋とても無かつたが、とにかく 部屋の數は九つあつた。書生や女中や家族たちをそれ/″\に配置して、まだ來客に備ふる一室位はどうやら殘つてゐた。家の古いこと、町から遠くて不便なこ と(これも最初はさうでなかつたのだが、生活の間口が廣くなるにつれて次第に不便を感じて來た。)家の前後から襲うて來る田畑の肥料の臭氣、其他あれこれ のことをば我慢しても、出來ることなら此儘(このまま)此處にぢいつと暮して行かうと思つてゐたのであつたが、さう出來ぬ事情になつた。
表面の理由は他にあつたが、要するに差配の爺さんの我慾と狡猾とに我等は追はれたのであつた。なほ詮じてゆくと、其處にはその爺さんと私の妻との感情問 題も遠い因をなしてゐた。第一印象としての彼女の彼に對する不快は年ごとに深くなつて、事ごとに眼に見えぬ衝突が兩人の間に行はれてゐたのであつた。
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揚げ足取りの名人になるな