2012年8月4日土曜日
これはいゝ、やつぱり此處に越して來てよかつた
『これはいゝ、やつぱり此處に越して來てよかつた、どれだけこの方が仕合せか知れない。』
と心から思ふ樣になつた。娘の健康も眼に見えてよくなつて來た。それに毎日の自分の爲事(しごと)の 上から云つてもおちついて机に向ふ事が出來るし、我等の爲事に附きものである郵便の都合もたいへんによかつた。東京と云つても私のそれまで住んでゐたは郊 外の巣鴨であつたが、其處と市内との往來に要する郵便の時間よりも、東京と沼津との間に要する時間の方が寧ろ速い程であつた。
さうした有樣で、一二年の豫定が延びていつの間にか此處に足掛五年の永滯在となつてしまつた。斯うなると改めて東京へ歸つてゆくのが億劫(おくくふ)に なつた。いつそ此儘この沼津に住んでしまはうではないか、などと夫婦して話す樣になつた。然し、その五年間を押し通して最初に考へた通りの幸福な時間が送 られたわけでは決してなかつた。半年一年とたつうちに自づと東京にゐた時と同じ樣な環境が自分の身體のめぐりに出來て來た。東京にゐた時とは違つた交際が また此處でも始められた。東京では廣くはあつたが多く書生づきあひの簡單なものであつた。それが土地の狹いこの沼津となると、なまじひに世間的になつてゐ る自分の名前のために、一種形式的な窮屈ないはゆる社會的交際をせねばならぬ場合が多くなつて來た。自分の最も恐れてゐた飮友達も、いつ出來るともなく出 來て來た。斯くて初めに願つてゐた隱栖(いんせい)といふ生活とは違つた朝夕がいつともなしに送らるゝ樣になつてゐたのだ。それでもまだ/\東京よりましだと信じてゐた。イヤ現にさう信じてゐるのではある。
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