今年四月末、二ヶ月もかゝつた中國九州地方の長旅行から歸つて來て見ると、四圍の事情は私の留守の間に急變してゐて、どうでも差迫つた時間内にその家をあけ渡さねばならなくなつてゐた。喧嘩腰になつてかゝればさう周章(うろた)へ る必要もなかつたのだが、それはこちらの氣持が許さなかつた。喧嘩どころか、もうさうなると一刻も速くこちらから逃げ出したい氣がいつぱいになつてゐるの であつた。で、苦笑しながら私は早速に空家さがしを始めた。東京へ引揚ぐるのはもともといやだし、他の土地へ移るといふも億劫(おくくふ)だし、矢張り沼津を――私が越して來てゐるうちに沼津町から沼津市に變つてゐた――中心として恰好(かつかう)な空家は無いかと探し始めた。自身はもとより、手の及ぶ限り知人たちにも頼んであちこちと探した。
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