2012年8月4日土曜日

が、それらの山よりも松原よりも

が、それらの山よりも松原よりも、此頃最も私の眼を惹(ひ)いてゐるのは、その松原に入らうとする手前に、丁度松原に沿うた形で水田と畑とを限つた樣にして續いてゐる畔に長々と植ゑられた木槿(もくげ)の木である。  むらさき色の鮮かな花といへばいかにも艷々しく派手に聞ゆるが、不思議とこの木槿の花に限つてさうでない。さうでないばかりかその反對に、見れば見るほど靜かな寂しさを宿して咲いてゐる花である。この花の咲き出す頃になると思ひ出される例の芭蕉の句の、 道ばたの木槿は馬に喰はれけり  は如何にもよくこの花の寂しさを詠んでゐるが、なほそれでも言ひ足りないほどに今年などはこの花に對して微妙な複雜な心持を感じたのであつた。この芭蕉 の句も彼が旅行の途次、富士川のあたりを過ぎつゝ馬上で吟じたものであるといふが、この花は不思議にまた我等に『旅』の思ひをそゝる。この花を見るごと に、秋を感じ、旅をおもふ。何物にともなく始終追はれ續けてゐる樣な、おちつかぬ心を持つた私にとつては殊更にもこの花がなつかしいのかも知れぬともおも ふ。 被リンク