日も待たず、その翌の日の夕暮時、宝の市へ練出す前に、――丸官が昨夜芝居で振舞った、酒の上の暴虐の負債を果させるため、とあって、――南新地の浪屋の奥二階。金屏風を引繞らした、四海波静に青畳の八畳で、お珊自分に、雌蝶雄蝶の長柄を取って、橘活けた床の間の正面に、美少年の多一と、さて、名はお美津と云う、逢阪の辻、餅屋の娘を、二人並べて据えたのである。
晴の装束は、お珊が金子に飽かして間に合わせた、宝の市の衣裳であった。
まず上席のお美津を謂おう。髪は結いたての水の垂るるような、十六七が潰し島田。前髪をふっくり取って、両端へはらりと分けた、遠山の眉にかかる柳の糸の振分は、大阪に呼んで(いたずら)とか。緋縮緬のかけおろし。橘に実を抱かせた笄を両方に、雲井の薫をたきしめた、烏帽子、狩衣。朱総の紐は、お珊が手にこそ引結うたれ。着つけは桃に薄霞、朱鷺色絹に白い裏、膚の雪の紅の襲に透くよう媚かしく、白の紗の、その狩衣を装い澄まして、黒繻子の帯、箱文庫。
含羞む瞼を染めて、玉の項を差俯向く、ト見ると、雛鶴一羽、松の羽衣掻取って、曙の雲の上なる、宴に召さるる風情がある。
同じ烏帽子、紫の紐を深く、袖を並べて面伏そうな、多一は浅葱紗の素袍着て、白衣の袖を粛ましやかに、膝に両手を差置いた。
前なるお美津は、小鼓に八雲琴、六人ずつが両側に、ハオ、イヤ、と拍子を取って、金蒔絵に銀鋲打った欄干づき、輻も漆の車屋台に、前囃子とて楽を奏する、その十二人と同じ風俗。
後囃子が、また幕打った高い屋台に、これは男の稚児ばかり、すり鉦に太鼓を合わせて、同じく揃う十二人と、多一は同じ装束である。
二人を前に、銚子を控えて、人交ぜもしなかった……その時お珊の装は、また立勝って目覚しや。
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