2012年6月10日日曜日

然うだ、姉え


「……然うだ、姉え。恁う言ふ時だ、掬つた月影は何うしたい。」
と、座長の角面がつゞけ状に舌打をしながら言つた。
「真個だわ。」
「まつたくさ。」
太夫たちも声を合せた。
不思議に、蛍火の消えないやうに、小さな簪のほのめくのを、雨と風と、人と水の香と、入乱れた、真暗な土間に微に認めたのである。
「あゝ、うつかりして忘れて居ました。船へ置いて来た、取つて来ませう。」
「ついでに、重詰を願ひてえ。一升罎は攫つて来た。」
と黒男が、うは言のやうに言ふ間もあらせず、
「やあ、水が来た、波が来た。……薄馬鹿が水に乗つて来た。」
と青坊主がひよろ/\と爪立つて逃げあるく。
「お仏壇ぢや、お仏壇ぢや、お仏壇へ線香ぢや。」
「はい、取つて来ましたよ。」
と言ふ、娘の手にした畚を溢れて、湧く影は、青いさゝ蟹の群れて輝くばかりである。
「光を……月を……影を……今。」
と凜と言ふと、畚を取つて身構へた。向へる壁の煤も破めも、はや、ほの明るく映さるゝそのたゞ中へ、袂を払つてパツと投げた。間は一面に白く光つた、古畳の目は一つ一つ針を植ゑたやうである。
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