しかしそれもゆるゆると味わっている暇はなかった。わたくしたちは東院堂の北側の高い縁側(えんがわ)で靴をぬいで、ガランとした薄暗い堂の埃だらけの床(ゆか)の上を、足つま立てて歩きながら、いよいよあの大きい廚子の前に立った。小僧が静かに扉をあけてくれる。――そこには「観音」が、恐らく世界に比類のない偉大な観音が立っている。
こういう作品に接した瞬間の印象は語ることのできないものである。それは肉体的にも一種のショックを与える。しかもわたくしはこの銅像を初めて見るわけではなかった。幾度見てもこの像は新しい。
わたくしたちは無言のあいだあいだに咏嘆の言葉を投げ合った。それは意味深い言葉のようでもあり、また空虚な言葉のようでもあった。天才になるのに遅すぎることはない