斬られた相手は皆ごろつきや地廻りで、事の実否もよく糺さず、
武士に対して狼藉を働いたのですから、云わば自業自得の斬られ損ということになってしまいました。殊に幕末で、徳川幕府の方でも旗本の侍は一人でも大切にしている時節でしたから、庄之助にはなんの咎めも無くて済みました。稼ぎ人に逃げられたお幸は、桜井の屋敷から内々の扶助をうけていたとか云います。
新内松は品川の橋向うで御用になりました。お金はその時まで一緒にいたらしいのですが、そのゆくえは判りませんでした。それから一年ほど経ってから、神奈川の貸座敷に手取りの女がいて、その右の頬にかすり疵のあとがあると云う噂でしたが、それが彼の矢がすりであるか無いか、確かなことは知った者もありませんでした。くどくも申す通り、新内松に矢がすりお金――この方に一向面白いお芝居がないので、まことに物足らないようですが、実録は大抵こんなものかも知れませんね。
浦安 歯科 虎穴に入らずんば虎子を得ず