2012年12月15日土曜日

青年が「仏教、仏教」と口で言い

 私はベックリン青年の語る言葉を聴くうちに、途中で二度も三度も「まあ、ちょっと、待って」と叫びかけた。
青年が「仏教、仏教」と口で言い、心に思い込んで居る考えは、決して仏教ではなかった、否、却って教主釈尊より弾呵を受ける資格のある空亡外道の思想であった。  だが、私は、私に対して近頃珍らしい同信者と見て奔河の流れのように自己を語る青年の満足さを見ては、押しても彼の言葉を妨げることは出来なかった。彼の言葉のスピードに私の言葉は弾ね飛ばされもしたのだった。  私は此の地へ来るまでに倫敦の仏教協会員とか、その他の欧洲人で仏教に興味を持つという人々とかに出会い、如何に彼等が小乗趣味の嗜好者であり、滅多に大乗教理を受け付けそうもない素質的のものであるかを根本に感じ、今更ながら現実肯定の仏教が、その思想が高遠であるだけそれだけ西洋人の宗教概念とは相容れず、うっかりすれば単なる厭世教に取られそうな気配いさえ見ゆるのに危険を覚えて慎しみを持つようになって居た。西洋人に大乗教理を説くのは余程の基礎知識の準備を与えて、さてそれから後のことだと思ったのであった。

  木のがま口 案ずるより生むが易し