トルストイ
ビュルコフのトルストイ伝を読めば、トルストイの「わが懺悔」や「わが宗教」のだったことは明らかである。しかしこの嘘を話しつづけたトルストイの心ほど傷ましいものはない。彼の嘘は余人の真実よりもはるかに紅血を滴らしている。
二つの悲劇
ストリントベリイの生涯の悲劇は「観覧随意」だった悲劇である。が、トルストイの生涯の悲劇は不幸にも「観覧随意」ではなかった。従って後者は前者よりも一層悲劇的に終ったのである。
ストリントベリイ
彼は何でも知っていた。しかも彼の知っていたことを何でも無遠慮にさらけ出した。何でも無遠慮に、――いや、彼も亦我我のように多少の打算はしていたであろう。
又
ストリントベリイは「伝説」の中に死は苦痛か否かと云う実験をしたことを語っている。しかしこう云う実験は遊戯的に出来るものではない。彼も亦「死にたいと思いながら、しかも死ねなかった」一人である。