2013年3月19日火曜日

それから足掛け四日目の夕がたに

 それから足掛け四日目の夕がたに、亀吉が帰って来た。
「親分。大抵のことは判りました」 「やあ、御苦労。まあ、ひと息ついて話してくれ」と、半七は云った。 「まず本人の次郎兵衛の方から片付けましょう」と、亀吉はすぐに話し出した。「次郎兵衛の家《うち》にはおふくろと兄貴がありまして、まあ、ひと通りの百姓家です。本人は江戸へ出て屋敷奉公をしたいと云うので、二月の晦日《みそか》に家を出て、午《ひる》の八ツ半(午後三時)の船に乗ったそうです。兄貴が河岸《かし》の船場まで送ったと云うから、間違いは無いでしょう」 「二月の晦日に船に乗ったら、明くる日の午頃には着く筈だ。ところが、次郎兵衛は三日に姉のところへ尋ねて来たと云う。そのあいだに二日の狂いがある。その二日のあいだに、どこで何をしていたかな。それからお磯の方はどうだ」 「お磯の家は相当の百姓だったそうですが、親父の駒八の代になってから、だんだんに左前《ひだりまえ》になって総領娘のお熊に婿を取ると、乳呑児《ちのみご》ひとりを残して、その婿が死ぬ。重ねがさねの不仕合わせで、とうとう妹娘のお磯を吉原へ売ることになったそうです」 個別指導 早慶個別スクール 塾長ブログ 河合塾|大学受験科