「あんなところに……」司法主任の声は顫えている。「あんなところに……むウ、富士山が出て来た!……こ、こりゃあ妙だ?」
見ればいつのまにか、箱根山を包んだ薄霧の帳の上へ、このような方角に見ゆべきもない薄紫の富士の姿が、夕空高く、裾のあたりを薄暗にぼかして、クッキリと聳えていた。
「あなたは、こう云う影の現象を、いままでにご存じなかったのですか?」
大月が微笑みながら云った。
「いや私は、最近こちらへ転勤して来たばかりです!……ふうム、成る程。つまりこりゃあ、入日を受けて霧の上へ写った、富士山の影ですね」
「では、序に」と大月は前方を指差しながら、「どうです、ひとつ、あの近景の木立を見て頂きましょうか」
「……」
司法主任は黙ってそちらを見た。
「……あれは、なかなか恰好のいい木立でして……」
「やややッ!」と主任は奇声を張りあげた。「むウ……色が変ってしまった!」
成る程、薄暗の中に一層暗くなっていなければならない筈の暗緑色の木立は、なんとした事か疑いもなく南室から見える木立と同じように、明かに白緑色を呈している。
「先晩、調べてみましたがね」大月が云った。「あれは合歓木の木立でしたよ。そら、昼のうちは暗緑色の小葉を開いていて、夕方になると、眠るように葉の表面をとじ合わせて、白っぽい裏を出してしまう……」
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